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わたしを襲った精神疾患 | 解離性障害の具体的な症状と回復について

こんにちは、解離性障害のような症状を

発症したことがあるこたつです。

 

今回は、私が経験した「解離性障害」ってこういうもの

という具体的な症状と回復についてまとめます。

 

心理学用語の「解離」という症状が強く出過ぎると「解離性障害」になると考えているため、まずはわたしが「解離」症状を発症した幼い頃まで遡ります。

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解離はごく幼い頃からはじまる

 

解離とは、意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が

一時的に失われた状態のことです。

 

人と話していたはずなのに、

会話の一部を覚えていないなどの状態は解離です。

また、ストレスがかかったときに、

頭の世界に避難する(空想傾向)のも解離なのではないかと考えています。

 

わたしの解離は幼い頃からはじまりました。

 

安心していられる場所の欠如や、

トラウマ的体験によって解離が身につくと言われています。

 

わたしは幼い頃から自分の考えが思い浮かんでも

「考えを言ったら親に怒られたり、破壊されたりする。」

という気持ちがあったので、

人に話をする代わりに、頭の中にもう一人の自分をつくって

解離することでストレスから逃れる

といった状態でした。

 

シャイで内気であまり話をしないような子供だったと思います。

 

弟は、割とわかりやすい性格ですが、

わたしは親に「何を考えているかわからない」と言われました。

 

高校生で、解離性障害を発症

 

幼い頃から、居場所がない状態が続き、

解離も身に付いていたことから、

高校生あたりでさらに強いストレスを感じたことで

その症状が非常に強く出始めて、

解離性障害」が発症したと思います。

 

解離性障害は、解離現象が悪化したものだと

捉えていいでしょう。

 

発症要因は、親の離婚騒動による過度なストレスです。

母親や祖母との関係が急激に悪化し、

わたしは祖母の家の前で泣き叫び、

母親には死ねと言われ、

精神はかなり混乱をきたしていました。

 

友達はおろか、親にさえ

どんな悩みや強い思いがあったとしても

心の内を自由に表現できない状態は

そうとうなトラウマになっていました。

 

実際に高校時代は、誰もかれもが、信頼できない存在に思え、

絶望的な日々を過ごしていました。

 

高校時代に出た症状としては、

離人症」→自分を外から見ているような感覚

学校生活で友人の会話を聞いている時など、
このような状態はありました。

 

「感情の鈍麻」→感情が麻痺して全く感じられない

道端で偶然、祖母に会ったとき、本来なら悲しみや怒りが湧きそうなところ、

感情は「無」に。

 

の2つだと捉えています。

 

異常行動や多重人格の症状はなく、

とにかく人にバレないように、隠して過ごしていました。

 

だから、症状は内面世界で現れていたに過ぎません。

 

どんな状況でも、周囲の人に辛さを知らせることができないので、

わたしはただ自分の内面で、その状況を打破する方法を

考えるしかありませんでした。

 

解離性障害はその後どうなったのか

 

解離性障害の症状は、大学生になって緩和されました。

きっかけは「旅に出ること」でした。

 

私の解離性障害の原因は、

「親や友人などの人間関係」でした。

 

また内面世界で生じたことは自己解決できるまでに成長していたので、

ひとりになれば心は安らぎました。

 

親から離れられ、自宅の閉塞感からも離れられる

旅の存在は自分に合っていたのでしょう。

 

ただし、頭の中にある言葉を

人に見せるようになったのはごく最近のことなので、

知人と一緒に旅をしていた頃も、

私の内面が理解されることはありませんでした。

 

また、わたしは自己解決できるだけの思考力があったので

どうにかなりましたが、通常の場合は

精神科に受診したり、誰かに相談したりしないと

キツいように思います。

 

精神疾患で悩んでいましたら、私も相談に乗れると思います。

よろしければ。 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

解離性障害の診断は受けていないので、あくまでも持論です。